新聞に未来はあるか

たまたまテニスのあと時間があきまくっていたので
後輩とディスカッション。
議題「新聞メディア」の将来性。


インターネット上で同等の情報が配信されてるのにもかかわらず、
なぜ新聞の売り上げが横ばいのままで推移しているのか?
という素朴な疑問からこの無駄とも思える議論が始まった。
僕の持論はこうだ。
インターネット上でユーザーが欲しい情報を新聞のような紙メディアと同等、あるいは
それ以上のものを配信できる可能性があると仮定する。いずれ紙媒体は駆逐され電
子メディアが一般的なコンテンツプロパイダーの配信手段となるだろう。
しかし現在の液晶あるいはブラウン管技術では、長時間の視聴に耐えられる品質に
達していない。だから目にやさしくコスト的にも安い紙メディアが駆逐されることは当分
先の話だろう。だが現在開発が進められている電子ペーパー、もしくは液晶ディス
プレーにとって変わる新しいブレークスルーテクノロジーが劇的に世の中を変化させる
ことも否定できない事実だ。かつてのグーテンベルグ革命のように、未来は輝かしい。
そこで問題はU君をやり込めることに変化していくことになる。
要は異次元の世界にはまっていく。
しかし生意気な後輩Uは、こうノタマッタ。
「現行の液晶ディスプレイーに代替するような、革新的な技術が開発されれば新聞メ
ディアが駆逐されるという話自体には、アグリーなんですけど。
それは内容に、よりけりですよ。例えば僕なんかは新聞を毎日5誌読んでいますが。
それに全て目をとおします。時間がないときはお風呂の中に持ち込んで、読んだりし
てるんですよ。
そして、仕事に関連する分野なら書き込みして切り抜き、カテゴリーごとにファイリング
していつでも使用できるようにしています。
だから電子ペーパーが、いくら便利だからといっても。ぬれても平気、書き込みも可能、
切り抜くこともできる電子ペーパー、もしくはそれ同等の機能の技術が開発されない限
り新聞メディアが、紙媒体から撤退するようなことはまずあり得ませんね。」
風呂で新聞を読むという行為が一般的かどうか知らないが、少なくと私は風呂で本を
読んだことはないので、防水性云々はどうでもいいとする。書き込みが可能も情報を
付加する機能をつければ問題は解決。
無論のこと電子データとして、スマートメディアに記録しておくことができるものを
わざわざアナクロニズムな方法でノートに糊できって貼るなんてことは意味のないことだ。
どうせ大部分が彼奴の思考ではなく先輩からの受け売り
と察した僕は意地の悪い質問をぶつけてみた。
「じゃー1年間、たまった資料のなかから、目当ての資料を瞬時に検索できるのかよ」
「はいできますとも」
「うそくせー」
意地の悪い質問をぶつけたつもりが、予想外の反応が返ってきたお陰で話はだんだん
果てしないラビリンスに入り込んでいく。
U君の方法だと、せっかく1年間をかけて収集した情報データベースがすぐに破綻
する。何故なら肝心な情報を検索するためのキーワードが、彼の記憶能力に依存
するからだ。
人間がある情報を記憶して、其の情報を正確に保持しておくことができる期間を
1週間ぐらいと仮定すると。時間の経過とともに情報の劣化がおこり、数週間で何を覚
えたかさえ思い出せなくなる。
確かにノートに書き込み期間を記入すれば時系列での情報管理は可能だろうが、
1年おきに同カテゴリーのデータをグラフにするのに非常に時間がか
かるので、最初からデーターを収集したほうが早いなんて本末転倒なことになる。
u君の主張は短期間のうちにデータをまとめて、発表するレポートならいいが
長期間かけてデータを収集して分析するやり方には不向きだ。
有益な情報を将来に活用するために蓄積して、それを再利用するといった概念が一般に
広がれば、新聞のマルチメディア化は一層進み、U君の頭の革新も同時に行われることを
祈りたい。
ナムー。

うおー

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